萬葉集
介 紹

第一期
 
第二期
 
第三期
一 
第四期

第三期 多樣化的時代

山部赤人(やまべのあかひと)

 神亀元年( 724 年)~天平8年( 736 年)にかけて活躍した宮廷歌人。
・万葉第3期( 710 ~ 733 年頃)山上憶良らと活躍した。
・自然愛に満ちているところから自然詩人と呼ばれる。
・長歌には観念的という批判があるが、長歌は絶唱したと称えられてている との評がある。
・万葉集には長歌約13首、短歌約37首残している。


み吉野の象山のまの木末には
ここだも騒ぐ鳥の声かも(卷6、924)


【現代語訳】

み吉野の象山の山間の梢には、こんなにも多く鳴き騒ぐ鳥の声なのだなあ。


圖一

【中文翻譯】

吉野象山中,

枝頭嘈不停,是鳥聲。



山上憶良が離れて暮らす子どもを思い、詠んだ歌


瓜(うり)食(は)めば 子ども思ほゆ 栗(くり)食めば 
まして偲(しぬ)はゆ 何処(いづく)より 
来(きた)りしものそ  まなかひに もとな懸りて 
安眠(やすい)しなさぬ(卷 5,802)


【現代語訳】

  瓜を食べると子どものことが思われる。栗を食べるとまして偲ばれる。いったい何処からやってきたのか、その面影が目の前にむやみちらついて、安らかに眠らせてくれない。


【中文翻譯】

食瓜思子女,食栗更動心。

兒等緣何來,合眼面影親。

頻現不離去,輾轉難安寢。

【注釈】

1.偲ぶ:過ぎ去った日やなくなった人との交渉をなつかしく思い出す。追憶する。

2.面影:目前にあるものによって想像される、そのもののかつての姿。

3.むやみ:結果を考えずに行うこと。あとさきを考えずにすること。また、そのさま。

4.ちらつく:考えが心の中に湧く。

802之反歌


銀(しろがね)も金(くがね)も玉も
何せむに優れる宝子にしかめやも(卷 5,803)


【現代語訳】

 銀も黄金も玉も、いったい何になるというのか、そんな勝れた宝でさえ、子どもに及ぶものがあろうか。


【中文翻譯】

金銀貴,玉價高

無如我兒女,最是寶中寶。

山上憶良(やまのうえおくら)

  儒仏、大陸の学問に詳しい人として710年遣唐使として入唐。帰国後、伯耆守、筑紫国守となった。
・万葉第3期( 710 ~ 733 年頃)山部赤人らと活躍した。
・実社会の生活に愛着と執念を見せたとの評がある。・
・社会の矛盾、生活の苦難に目を向けた歌が多い。
・天平5年( 733 年) 74 歳で没したと見られている。
・万葉集には長歌約10首、短歌約70首残している。


世のなかを憂しとやさしと思へども
飛び立ちかねつ鳥にしあらねば(卷 5,893)


【現代語訳】

 この世を辛く身も痩せ細るような所と思うけれども、この世から飛び立つことはできない、鳥ではないから。


【中文翻譯】

常思人間世,為恥與優

未能高飛去,緣非在鳥儔。

大伴旅人(おおとものたびと)

 大伴旅人は天智4年( 665 年)生まれ、大伴安麻呂の子。長く宮廷に仕えた宮廷歌人。老荘、神仙思想に優れていた。
・万葉第3期( 710 ~ 733 年頃)山上憶良らと活躍した。
・歌は全てが60歳以降に作られた。
・又、歌は殆どが大宰府に赴任していたときに詠まれた。
・天平3年( 726 年)7月、67歳で没した。
・万葉集には長歌1首、短歌約70首残している。

大宰帥、大伴旅人の歌


験(しるし)なき物を
念 はずは一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし(卷 3,338)


【現代語訳】

 しようもない物思いなどやめて、一杯の濁り酒でも飲んだほうがよさそうだ。


【中文翻譯】

無謂之思,思之何益

一杯濁酒,飲之自適。

原文部份- 

引用文獻 佐竹昭広等校注。『新日本文學大系萬葉集1-4』、岩波書局、
     1999~2003年。 p.234
引用文獻 佐竹昭広等校注。『新日本文學大系萬葉集1-4』、岩波書局、
     1999~2003年。 p.504

中譯部分-

參考文獻 趙樂甡。「 萬葉集 」,譯林出版社。2002。

圖一引用:http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/