萬葉集
介 紹

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第二期
一 
第三期
 
第四期

第二期 宮廷歌人出現

柿本人麻呂(かきもとのひとまろ)

 持統天皇、文武天皇に仕えた宮廷歌人。
・万葉の第二期 (673 ~ 710 年頃)に活躍した。
・万葉集には長歌約20首、短歌約70首残している。
・皇族や妻の挽歌、別離、恋情、など多くの範囲の歌がある。

近江の旧都を通ったときに柿本朝臣人麻呂が作った歌


玉だすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ(或は云ふ、「宮ゆ」)
生れましし 神のことごと つがの木の いやつぎつぎに 
天の下 知らしめししを (或は云ふ、「めしける」) 天にみつ 大和を置きて
あをによし 奈良山を超え (或は云ふ、「そらみつ 大和を置き あをによし 奈良山越えて」) いかさまに 思ほしめせか (或は云ふ、「思ほしけめか」)  
あまざかる 鄙にはあれど いはばしる 近江の国の 
楽波の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の命の 
大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 
春草の 繁く生ひたる 霞立ち 春日の霧れる
(或は云ふ、「霞立ち 春日か霧れる 夏草か 繁くなりぬる」)
  ももしきの 
大宮所 見れば悲しも (或は云ふ、「見ればさぶしも」)(卷 1,29)


【現代語訳】

  (玉だすき)畝傍の山の,橿原の聖なる神武天皇御代から<或る本には「宮から」と言う>、お生まれになった歴代の天皇が、(つがの木の)次々に続いて、天下を治められたのに<或る本には「治めて来られた」と言う>、(天にみつ)大和を捨てて、(あをによし)奈良山を越え<或る本には「そらみつ)大和を捨て、(あをによし)奈良山を越えて」と言う>どのようにお考えになったものか<或る本には「お考えになられたのだろうか」と言う>、(あまざかる)辺鄙な田舎ではあるが、(いはばしる)近江の国の、楽浪大津の都で、天下をお治めになった、あの天智天皇の旧都はここだと聞くけれど、宮殿はここだと言うけれど、春の草がいっぱい生えている、霞が立って春の日が霞んでいる<或る本には「霞が立って春の日が霞んでいるせいか、夏草が茂っているからだろうか」と言う>(ももしきの)この都の跡を見ると悲しい<或る本には「見ると心がふさぎこんでしまう」と言う>。

(注)柿本人麻呂 ・・・ 持統一文武天皇の時代に活躍した宮廷歌人の第   一人者。天武・持統・文武天皇に仕える。官人としては下級だった。

(注)玉襷    ・・・ 「畝火」の枕詞。
(注)天にみつ  ・・・ 「大和」の枕詞。
(注)あをによし ・・・ 「奈良」の枕詞。
(注)天離る   ・・・ 「田舎」の枕詞。
(注)石走る   ・・・ 「淡海」の枕詞。
(注)霞立つ   ・・・ 「春日」の枕詞。
(注)ももしきの ・・・ 「大宮人や大宮ところ」の枕詞。 壬申の乱で近江大津の宮は荒れ果てた。

圖一

【中文翻譯】

畝傍山橿原,聖代傳至今。

所生歷代皇,於此天下臨。

不知何所思,竟然捨大和。

更越奈良山,到此近江國。

地本處鄙遠,大津建宮殿。

遷此樂浪地,治理天下焉。

聞知皇宮址,此地乃殿堂。

春草繁且茂,春陽籠霞光。

昔日宮闕在,一見心悲傷。

 

1.畝傍:奈良県橿原(かしはら)市の旧名。

2.橿原:奈良盆地の南部にある市。飛鳥文化の一中心地。

3.神武天皇:日本の神話上の初代天皇。九州日向(ひむか)から東進して大和地方を平定、紀元前660年(皇紀元年)、大和の橿原宮で即位したという。

4.御代:天皇の在位期間。

5.辺鄙:都会から離れていて不便な場所。

6.近江の国:近江という、近畿地方にあった国。

7.楽浪:前漢の武帝が紀元前108年に衛氏朝鮮を滅ぼして設置した四郡の一。

8.大津:滋賀県南西部、琵琶湖南西岸にある市。古くから水陸交通の要地、近世、東海道・中山道・北陸道を集める宿場町、園城寺(おんじようじ)の門前町として発展。

9.天下をお治めに:国を統治、または平定すること。

10.天智天皇:第38代天皇。一般には中大兄皇子(なかのおおえのおうじ/なかのおおえのみこ)として知られる。
※「中大兄」は「次の皇太子」を意味する語。


【引用文獻】

1.原文部份引用自, 佐竹昭広等校注『新日本文學大系萬葉集1-4』、
岩波書局、 1999~2003 年。p.34-35

 

2.中譯部份引用自,趙樂甡譯『 萬葉集』、譯林出版社、 2002 。
  除(卷 2-165 )以及(卷 8-1418 )之譯者為陳玫君。p.13

反歌


楽浪(ささなみ)の志賀の唐崎(からさき)
幸(さき)くあれど大宮人の船待ちかねつ(卷 1,30)


【現代語訳】

 楽浪の志賀の唐崎は、今も変わらずにあるが、昔の大宮人の船をひたすら待ちかねている。

(注)楽浪  ・・・ 琵琶湖の西南岸地方。

(注)唐崎  ・・・ 大津市の北、大津の宮があった琵琶湖岸。

(注)大宮人 ・・・ 宮廷に仕える人々。

【中文翻譯】

志賀唐崎,如昔幸存。

宮人之舟,久待不來臨。

 



楽浪(ささなみ)の志賀の大わだ淀むとも
昔の人にまたも逢はめやも(卷 1,31)


【現代語訳】

  楽浪の志賀の<一本に「比良の」と言う>大わだは、今このように淀んでいても、昔の人にまた逢えようか<一本に「逢うだろうとも思えない」と言う>。


【中文翻譯】

志賀海灣,水縱回環

昔日之人,豈能再相見。

【注釈】

1.志賀 石川県北部、能登半島西岸、羽咋(はくい)郡の町。

2.わだ 地形の湾曲している所。

【引用文獻】

1.原文部份引用自, 佐竹昭広等校注『新日本文學大系萬葉集1-4』、
 岩波書局、 1999~2003 年。p.36

2.中譯部份引用自,趙樂甡譯『 萬葉集』、譯林出版社、 2002 。
  除(卷 2-165 )以及(卷 8-1418 )之譯者為陳玫君。p.13

圖一引用:http://urano.org/kankou/sanzan/sanzan12.html