萬葉集
介 紹

第一期
 
第二期
 二
第三期
 
第四期

第二期 宮廷歌人出現

大伯皇女(おはくのひめみこ)

 大来皇女とも言う。天武天皇皇女。母は大田皇女。大津皇子の姉。斉明7年( 661 年)備前大伯で生まれる。 大津皇子の謀反が露見し、死去後帰京。大宝元年( 701 年)死去。41歳。

大伯皇女が弟の大津皇子を思う歌二首


わが背子を大和へ遣(や)ると
さ夜深けて暁露(あかときつゆ) にわが立ち濡れし(卷 2,105)


【現代語訳】

 我が君を大和へ帰し行かせるとて、深更暁の露に、私は立ちつくして濡れた。

(注)大津皇子 ・・・ 天武天皇の御子。大柄で容貌も男らしく人望も厚かった。草壁皇子に対抗する皇位継承者とみなされていたが、 686年、天武天皇崩御の直後、反逆を謀ったとして処刑された。享年 24歳。草壁の安泰を図ろうとする皇后の思惑がからんでいたともいわれる。大伯皇女は大津皇子の同母姉で、 14 歳から伊勢神宮の斎宮となっていた。この歌は、事件の直前に、ひそかに伊勢の大伯を訪ねてきた大津を帰す時に詠まれたもの。

 

【中文翻譯】

阿弟去大和,夜深露多

佇立天曉,濕透衣衫薄。

【注釈】

1.深更:真夜中。

2.暁の露:朝早く草葉などにおりた露。

【引用文獻】

1.原文部份引用自, 佐竹昭広等校注『新日本文學大系萬葉集1-4』、
 岩波書局、 1999~2003 年。p.207

2. 中譯部份引用自,趙樂甡譯『 萬葉集』、譯林出版社、 2002 。除(卷 2-165 )以及(卷 8-1418 )之譯者為陳玫君。p.34

大津皇子の遺体を葛城の二上山に移して葬る時に、
大伯皇女が詠んだ歌


うつそみの人にあるわれや明日よりは
二上山 (ふたかみやま) をいろせとわが見む(卷 2,165)


【現代語訳】

  この世の人である私は、明日からは、二上山を弟として眺めることでしょうか。


【中文翻譯】

尚為塵世人,明日起,將二上山當吾弟望 。

【引用文獻】

1.原文部份引用自, 佐竹昭広等校注『新日本文學大系萬葉集1-4』、
 岩波書局、 1999~2003 年。p.225

2.中譯部份引用自,趙樂甡譯『 萬葉集』、譯林出版社、 2002 。
  除(卷 2-165 )以及(卷 8-1418 )之譯者為陳玫君。

高市黒人(たけちのくろひと)

 出生、没年の詳しいことは不明。
・万葉第二期 (673 ~ 710 年頃)に活躍した。柿本人麻呂とは同時代の人
・藤原京期の宮廷に仕えた宮廷歌人。
・人間の個我に独自の個性を展開したとの評がある。

高市黒人の歌


旅にしてもの恋(こほ)しきに
山下の赤のそほ船沖を漕く見ゆ (卷 3,270 )


【現代語訳】

  旅にあってそぞろ恋しい思いでいると、先刻、山裾に見えた赤色の船が沖を漕いで行くのが見える。

【中文翻譯】

身在羈旅,思京城,卻又眼見,塗赭船,駛向京城,令人羨。

【注釈】

1.そぞろ:なんとなく、気持が進むさま。

2.山裾:山の下の方の、広がったところ。

3.沖を漕ぐ:他とは比べものにならないほどすぐれている。

【引用文獻】

1.原文部份引用自, 佐竹昭広等校注『新日本文學大系萬葉集1-4』、
 岩波書局、 1999~2003 年。p.225

2.中譯部份引用自,趙樂甡譯『 萬葉集』、譯林出版社、 2002 。
  除(卷 2-165 )以及(卷 8-1418 )之譯者為陳玫君。p.60

志貴皇子(しきのみこ)

 天智天皇皇子。母は伊良都売。海上女王、湯原、榎井、春日皇子、光仁天皇、道鏡の父。 天武8年( 679 年)吉野の盟約に加わる。

志貴皇子の喜びの歌

石(いは) ばしる垂水 (たるみ) の
上のさ蕨 (わらび) の萌え出づる春になりにけるかも (卷 8,1418)


【現代語訳】

  岩のうえ にほとばしり落ちる滝のそばのさわらびが芽を出す春になったのだなあ。


【中文翻譯】

岩上激沖瀑布處,蕨菜抽芽,應是春來住。

【注釈】

1.ほとばしる 中にあるものが勢いよく外へ出る。

2.さわらび 芽を出したばかりのわらび。

【引用文獻】

1.原文部份引用自, 佐竹昭広等校注『新日本文學大系萬葉集1-4』、
 岩波書局、 1999~2003 年。p.270

2.中譯部份引用自,趙樂甡譯『 萬葉集』、譯林出版社、 2002 。
  除(卷 2-165 )以及(卷 8-1418 )之譯者為陳玫君。