萬葉集
介 紹

第一期
 二
第二期
 
第三期
 
第四期
第一期 皇室歌人
天智天皇が蒲生野で薬狩をなさった時、額田王が作った歌

あかねさす紫野行き標野(しめの) 行き
野守は見ずや君が袖振る (卷 1,20) 錄音檔


【現代語訳】

  (あかねさす紫野の中を行き、標野の中を行って、野守は見ているではありませんか、あなたが袖を振るのを。


圖三

【中文翻譯】

往來紫野園禁場

手吏豈不見

君又舉袖揚

1.あかねさす:「紫」「日」「昼」の枕詞。

2.紫野:紫草を栽培している野。根から染料をとった。

3.標野:標をした所。皇室や貴人の所有地で、一般の者の立ち入りを禁止した野。禁野。

4.野守:立ち入り禁止の猟地や禁猟の野の見張り人。野の番人。

5.袖振る:求愛のしるし。

20に対し、大海人皇子がお答えになった御歌


紫草(むらさき) のにほへる妹(いも) を 憎く
あらば人妻ゆゑに我恋ひめやも (卷 1,21)


【現代語訳】

  紫草のように美しいあなたを憎いと思ったら、人妻であるのに、私はかくも恋しく思うだろうか。

【中文翻譯】

妹妍如紫茜,

焉能憎厭

況知已是人妻

猶使我生戀

持統天皇 (ちとうてんのう)

 天智天皇の第二皇女。母は石川麿も女遠智娘。天武天皇の皇后。天武天皇妃大田皇女とは同じ母姉妹。草壁皇子の母。

天皇御製の歌

 
春過ぎて夏来(きた) るらし
白妙(しろたへ) の衣干したり天の香具山(卷 1,28 ) 錄音檔


【現代語訳】

 春が過ぎて、夏が来たらしい。真っ白な衣が干してあるよ、天の香具山に。

(注)持統天皇 ・・・ 天武天皇の皇后で、夫をたすけて政治を執った。天武崩御後しばらく皇后のまま政治を執り草壁皇子を天皇に立てようとしたが、草壁が没したため自ら即位した。 694 年に都を藤原京に遷したが、藤原京は大和三山を近くにのぞむ地で、この歌もここで詠まれたのかもしれない。

【中文翻譯】

春已去,夏似來臨

天之香具山,晾曬白衣裙。

原文部份- 

引用文獻 佐竹昭広等校注。『新日本文學大系萬葉集1-4』、岩波書局、
     1999~2003年。 p.28
引用文獻 佐竹昭広等校注。『新日本文學大系萬葉集1-4』、岩波書局、
     1999~2003年。 p.34
中譯部分-

參考文獻 趙樂甡。「 萬葉集 」,譯林出版社。2002。

圖三引用:http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/