萬葉集
介 紹

第一期
一 
第二期
 
第三期
 
第四期
第一期 皇室歌人
舒明天皇(じょめいてんのう)

 諱は田村皇子(たむらのみこ)。和風諡号は息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)。在位中、最初の遣唐使を送り、唐からの高表仁の返訪を受けた。高表仁は、天皇と礼を争った。唐には使者の他にも学問僧や学生が渡り、隋の頃に渡った者も含め、僧霊雲、僧旻、僧清安、高向玄理が帰国した。百済と新羅からの使節も訪れた。万葉集(『萬葉集』)の御製歌あり。

舒明天皇が香具山に登って国見をなさった時の御製歌


大和には 群山(むらやま) あれど とりよろふ 
天の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見をすれば 
国原は 煙立ち立つ  海原は 鴎(かまめ)立ち立つ
うまし国そ 秋津島(あきづしま) 大和の国は (卷 1,2 )


【現代語訳】

 大和の国には多くの山々があるが、最も近い天の香具山、そこに登り立って国見をすると、広い平野には、炊煙があちこちから立ち昇っている。海原には、白い鴎の群がしきりに飛び立っている。素晴らしい国であるよ。(あきづしま)大和の国は。


圖一

【中文翻譯】

願我大和國,群山緊相連。

惟有香具山,秀美非一般。

登上高山頂,放眼國內覽:

平原炊煙繞,海洋鴎鳥歡。

美哉秋津島,大和多壯觀!


1.天の香具山:奈良県橿原市にある丘陵。畝傍山、耳成山とともに大和三 山と呼ばれる。『釋日本紀』の伊予国風土記逸文は、天上界にあった山が落ちて来て、その片割れが天の香具山になり、もう片方は伊予の国の「天山(あめやま)」になったという地名説話を伝えています。

2.国見:天皇が、国の情勢を高所から望み見ること。

3.海原:広々とした海。

4.しきりに:ひんぱんに、何度も繰り返し行われるさま。しばしば

額田王(ぬかたのおおきみ)

 斉明朝から持統朝に活躍した、日本の代表的な女流万葉歌人である。また、天武天皇の妃(一説に采女とされる)。額田王(『万葉集』)の表記が一般的だが、額田姫王(『日本書紀』)・額田部姫王(『薬師寺縁起』)とも。『日本書紀』には、鏡王(かがみのおおきみ)の娘で、大海人皇子(天武天皇)に嫁し、十市皇女を生むとある。鏡王は他史料に見えないが、「王」称から2 世~ 5 世の皇族(王族)と推される。一説に、宣化天皇の曾孫といい、近江国野洲郡鏡里の豪族で、壬申の乱の際に戦死したともいう。

額田王の歌

熟田津(にきたつ) に船乗りせむと
月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな (卷 1,8)


【現代語訳】

 熟田津で船に乗り込もうと、月の出を待っていると、潮も満ちて船出に都合よくなってきた、さあ、今こそ漕ぎ出ようではないか。

(注)額田王(ぬかだのおおきみ) ・・・ 万葉初期の代表的な女流宮廷歌人。

(注)熟田津 ・・・ 愛媛県松山市の海浜。 661 年、新羅の侵攻にさらされた百済救援に向かう斉明天皇の船団が一時停泊した港。ここにしばらくとどまった後、出航しようとする時の歌。この遠征には、皇太子の中大兄皇子、大海人皇子ほか皇女たちも従った。この歌は斉明天皇の作だと伝わるが、額田王が天皇になり代わって詠んだとされる。

 月の出と潮流とは密接な関係があり、ともに船旅には重要な条件だった。この月を満月とし、ちょうど大潮の満潮にあたったとする見方もある。

 なお、斉明天皇は博多に到着の後に崩御、中大兄皇子は翌々年、朝鮮半島に軍を進めたが、白村江で大敗した。


圖二

【中文翻譯】

成舟熟田津,

待月把帆揚;

潮水湧,操棹槳。

1.熟田津:今の愛媛県松山市。津というのは、港を控えて、人の大勢集まるところのこと。

2.船出:船が航海して進んで行く。航行する。

原文部份- 

引用文獻 佐竹昭広等校注。『新日本文學大系萬葉集1-4』、岩波書局、
     1999~2003年。 p.14-15
引用文獻 佐竹昭広等校注。『新日本文學大系萬葉集1-4』、岩波書局、
     1999~2003年。 p.20

中譯部分-

參考文獻 趙樂甡。「 萬葉集 」,譯林出版社。2002。

圖一引用:http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/
圖二引用:http://www2.odn.ne.jp/cbm54970/asakuraguu.html