萬葉集 |
第一期
一 二 |
第四期
一 |
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第一期 皇室歌人 |
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舒明天皇(じょめいてんのう) 諱は田村皇子(たむらのみこ)。和風諡号は息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)。在位中、最初の遣唐使を送り、唐からの高表仁の返訪を受けた。高表仁は、天皇と礼を争った。唐には使者の他にも学問僧や学生が渡り、隋の頃に渡った者も含め、僧霊雲、僧旻、僧清安、高向玄理が帰国した。百済と新羅からの使節も訪れた。万葉集(『萬葉集』)の御製歌あり。 |
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舒明天皇が香具山に登って国見をなさった時の御製歌 |
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大和の国には多くの山々があるが、最も近い天の香具山、そこに登り立って国見をすると、広い平野には、炊煙があちこちから立ち昇っている。海原には、白い鴎の群がしきりに飛び立っている。素晴らしい国であるよ。(あきづしま)大和の国は。 |
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額田王(ぬかたのおおきみ) |
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額田王の歌 |
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熟田津(にきたつ) に船乗りせむと 月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな (卷 1,8) |
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熟田津で船に乗り込もうと、月の出を待っていると、潮も満ちて船出に都合よくなってきた、さあ、今こそ漕ぎ出ようではないか。 (注)額田王(ぬかだのおおきみ) ・・・ 万葉初期の代表的な女流宮廷歌人。 (注)熟田津 ・・・ 愛媛県松山市の海浜。 661 年、新羅の侵攻にさらされた百済救援に向かう斉明天皇の船団が一時停泊した港。ここにしばらくとどまった後、出航しようとする時の歌。この遠征には、皇太子の中大兄皇子、大海人皇子ほか皇女たちも従った。この歌は斉明天皇の作だと伝わるが、額田王が天皇になり代わって詠んだとされる。 月の出と潮流とは密接な関係があり、ともに船旅には重要な条件だった。この月を満月とし、ちょうど大潮の満潮にあたったとする見方もある。 なお、斉明天皇は博多に到着の後に崩御、中大兄皇子は翌々年、朝鮮半島に軍を進めたが、白村江で大敗した。 |
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原文部份- |
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圖一引用:http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/ |